差異と交換4。 [読書メモ]
(岩井克人『ヴェニスの商人の資本論』ちくま学芸文庫、1992)
- 「(承前)すなわち、共同体のなかでは利子をともなった貨幣の貸し借りは許されないが、同時に、そこでも利子をともなった貨幣の貸し借りが必要である。借りるべきか、借りざるべきか、それが問題である。一体この二律背反はどのように解決されるのであろうか。/実は、(中略)『申命記』のなかの利子にかんする戒律には、次のような但し書きがついている。/他国の人よりは汝利息を取るも宜し。/もちろん、「他国の人」とは共同体の外部の人間のことを意味している。つまり、ここでも、あの共同体の内部と外部とのあいだの倫理の使い分けがおこなわれている。共同体の内部の兄弟からは利子をとってはいけないが、共同体の外部の人間からは利子をとってもかまわない。それゆえ、(中略)アントーニオはシャイロックにむかって次のように述べることになる。/だから、金を貸してくれるのならば、友だちに貸すとは思うなよ。友情が、友だちのもっている石女の金に利子を生ませたなどという話を聞いたことがあるか? それよりも、おまえの敵に貸すのだと思え。敵となれば、契約が破られたとき大威張りで違約金を取り立てることができるからな。(1・3)/ここで、「敵」とはもちろん兄弟ならざる異邦人のことであり、「違約金」とはもちろん隠されたかたちでの利子のことである。アントーニオは、自分自身をシャイロックの敵として規定することによって、自分からシャイロックが利子をとることを正当化しようとしているのだ。そうすることによって、かれは、自分自身の兄弟盟約的な行動様式と矛盾することなくシャイロックから利子を支払う約束でお金を借りることができるのである。/「古代ローマ人」アントーニオが「古代ローマ人」でありつづけるためには、結局自分を「敵」とみなす「邪教徒」シャイロックの存在が必要なのである。そして、同様に、共同体がみずからを支える兄弟盟約の原理と矛盾することなく利子をともなう金銭の貸借をおこなうためには、かならず他国の民、すなわりもうひとつの共同体の存在を必要とする。すなわち、それにたいしてみずからが異邦の徒として規定されるようなもうひとつの共同体の存在を、である。/もうひとつの共同体
- →敵対的他者の存立の必要性についての弁証法。「内部」があるためには「外部」が不可欠である…
タグ:岩井克人
2009-08-12 23:50
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