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文学理論27。 [読書メモ]

(ジョナサン・カラー『文学理論』荒木映子・富山太佳夫訳、岩波書店、2003)

  • 「文学はつねにアイデンティティをめぐる問題にかかわりをもってきたし、文学作品は、陰に陽に、そうした問題に対して答を用意している。とくに物語文学は、登場人物が自身を定義し、かつ定義される  彼らの過去や、選択や、彼らにかぶさる社会的な力がさまざまに組み合わさって定義される  運命を追いかけてきた。だが、登場人物は自らの運命を作るのだろうか、それとも受容するのだろうか。物語はそれぞれ違った複雑な答を出してみせる。『オデュッセウス』においては、オデュッセウスは「変幻自在の」(ポリュトロポス)という形容辞を与えられているが、自身と船乗り仲間を救ってイサカに帰り着くために奮闘する中で、みずからを定義する。フロベールの『ボヴァリー夫人』では、エンマはロマンチックな本の読書と凡庸な周囲とのかかわりの中でみずからを定義しようとする(「自分自身を見つける」)。/文学作品は、アイデンティティがどのように形成されるかについて、暗黙のモデルをいろいろ提供してくれる。アイデンティティが出生によってもともと決まっている物語もある。羊飼いに育てられた王の息子は、基本的には依然として王であり、そのアイデンティティが発見されると、当然のごとくに王になる。また、登場人物が運命の変化に応じて変化する物語や、アイデンティティが艱難辛苦をくぐり抜けるうちに明らかになる個人の特質に基づくような物語もある。」(p.164-p.165)
  • →アイデンティティ=自らについて自らが下す定義、なのだろうか。であるとしてもそれは、性的・社会的・言語的に下される、いわば「外」からの判断・裁定とのかかわりの下になされるものであろう。しかし、ここでの例を借用するなら、そのような「自己」定義においてもジェンダーによる差異が見られる。オデュッセウスの生はいわば「社会的に」決定される(ように見える)のに対し、エンマのそれはあくまでも自己内部で完結した、「社会的に」追認されるような類のものではない(ように見える)からだ。それゆえ、アイデンティティ、自己形成の問題において、ジェンダー/性差はもはや避けては通れない観点となっている。

文学理論 (1冊でわかる)

文学理論 (1冊でわかる)

  • 作者: ジョナサン・カラー
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2003/09/06
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


2009-07-14 18:11  nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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